今年10月に発売された週刊誌FLASHに、“メンバーが軌跡を全解説『ユニコーン』復活祭!!”という見出しで取材を受けたメンバー4人。
そのインタビューを行ったのは当時からユニコーンが好きだったFLASH編集者。彼に取材をして最も驚いた事を聞いてみたところ、『セルフセレクション』と『セフレ』くらい違ったそうである。
■EPISODE.004 「FLASH編集者が驚いたのは・・・」
ユニコーンは唯一無ニのバンドだった。メンバー全員が曲を書き、ボーカルをとる。バンド内には、奥田民生という偉大な作曲家、ボーカリストがいたのにもかかわらず…。他メンバーの楽曲が、アルバムにひっそり収まっているわけではなく、『ブルース』『デーゲーム』など、堂々とシングルとして発売されもした。ユニコーンの最大の魅力は、そこにあった。つねに自然体で、メンバーそれぞれがとことん音楽を楽しみ、「力出し切った!」と、解散していった日本最強のバンド…だと思っていた。
ところが…
意外にも…
実情はまったく…
『セルフセレクション』と『セフレ』くらい…
違ったのである!
EBI「率先してやりたかったわけではないですよ(笑)。そういった“流れ”を作ったのは民生。ボーカリストが『歌え!』って言わないと、ふつうベースは歌わないでしょう(笑)。当時は、楽しむ余裕などなかったですね」
テッシー「俺は曲なんか書かなくていい、なんだったらコーラスもしたくない、ギターだけ弾いてればいいと、バンドに対して思っていたんですよ。だけど、民生がいろんなことをやりたいと…」
「ただ演奏しているだけではいかん! 詞を書け! 曲を書け! 歌え!」という“流れ”が、民生を中心に作られ、川西幸一、阿部Bが同調したのである。
川西「音楽性が違うメンバーが集まってたんで、とっちらかる状態になったんだけど、それでいいんじゃない?って(笑)。俺はね、演歌以外ならなんでもよかった」
阿部B「俺は自己主張が激しいほうで、バンドに入ったからには、変わらないとおかしいだろうと思ってて、固定概念を打ち壊そうとしてた。手島くんとかロック系が好きですし、EBIくんもずっと硬派なバンドをやっていたので、ポップな感じの、くまちゃんがどうしたとか(注・「ペケペケ」のコーラス)っていう世界は冗談じゃないと。そういう流れのなかで、(メンバーを)無理矢理に近い形で説得した(笑)」
その結果。彼らは、いちミュージシャンに留まらず、音楽家としての才能を磨き、開花させ、ロック史に残る名曲を、数多く残した…。
EBI「いま思うと、(ユニコーンは)いろんなものを引き出してくれて、感謝してます」
テッシー「いまは、僕の歌で楽しんでよ、っていうレベルになったと思う」
デビューから20年が過ぎ、豪華なアーティストが揃った『ユニトリ』やメンバー自身が選んだ『セルフセレクション』が発売され、さらには、公式サイトもオープン。ユニコーン・マニア垂涎のアイテムが続々と誕生している!
そこで、
改めて、
彼らに、
声高に、
問うてみたい。
「ユニコーンは、再結成もお好き?」
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